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芒山


 

芒山


芒蕩山

    芒蕩山は河南省永城市の河南、安徽、江蘇、山東四つの省の隣接する所に位置する。芒蕩山は歴史が悠久で、名所旧跡が沢山残っている。「孔子の雨避の所」、「陳勝の墓」、「漢高祖斬蛇碑」、「張飛塞」などの外に、最も感心させるのは西漢梁国王陵墓である。それは山を掘って建造し、構造が複雑、規模が雄大、地下宮殿によく似ており、国クラスの重要文化財と指定されている。

梁孝王墓

    梁孝王墓は保安山の東側にあり、東向きで山頂まで15M、墓道より、甬道、主室、巷道と側室など15室から成り、容積は2800立方である。梁孝王劉武は景帝の弟で、王梁25年(紀元前114年)に病気で急死したため、墓室の中には未完成のところも残っている。東漢の末、曹操軍に盗まれたことがある。

梁孝王后墓

梁孝王后墓は梁孝王墓の手前にあり、墓道、天井、車馬室、甬道、東宮、西宮、蔵氷室、風呂場、便所、台所など36室から成り、東西の長さは210m、南北の幅は72・6m、容積は6500立方である。世界最初の蔵氷室と便所が発掘された。

柿園墓

柿園墓は、保安山東南部的余坡の山頭に位置。梁孝王劉武の息子梁共王劉買のお墓である。下の地層はたいへん薄い頁岩であり、2米以下は頁岩と石灰岩が交互し、5米以下では頁岩は消失し全て石灰岩となる。柿園漢墓は、墓道より、甬道、主室、
巷道と側室から成る。主室の頂部、南壁、西壁と門道口の両側に彩色壁画。主室頂部の《四神雲気図》壁画は、保存が最も良く發現時の色彩は鮮やか。歴史的藝術的な価値が極めて高い。

四神雲気図

前漢絵画:中心の写実化と周辺の装飾化
内容:青龍、白虎、朱雀、怪獸(神霊)の四神を中心に装飾的な雲気紋。
   雲気紋=山岳には靈芝などが生える。
賀西林説:怪獸は魚婦(生命再生の象徴)
 魚あり、扁枯、魚婦とよぶ。
 (センギョク)は死んでもすぐよみがえる。
 風が北から吹き出すと、天は河川を溢れさせる。
 蛇は化して魚となる。これが魚婦である。

斬蛇碑

    中原競遂鹿、一蛇附中谷、揮剣白帝終、蛇母秋郊哭」この詩は漢の高祖劉邦が新蛇の事を記述した詩です。
    【史記】によれば、劉邦が沛県の泗水亭長を担当した頃、始皇帝の陵墓を築くために驪山に民夫を連れて行く命令を受けた。その途中、秦の横暴を怖れて逃げ出す者が絶えず、このままでは驪山に着いたら一人もいなくなってしまうと劉邦は考えた。劉邦は芒蕩山あたりに来て、心行くまで酒を飲んで皆を解散した。その中で10名ほどのたくましい青年たちが劉邦を慕ってついてきた。そして、芒場山に着いたところで、一行の前を一匹の大蛇が横たわって通れなくなってしまった。皆が回り道をしよう
としていたところ、劉邦は怒り、大蛇を剣で切って前に進んだ。それから、しばらく歩いた後、劉邦は酒に酔って横になっていた。やがて、後ろから歩いてくる人々がいて、その中に一人の老婦人が泣きながら「私の息子は白帝の子で蛇に化けて路上で横になっていたが、赤帝の子に殺された」と訴えた。

     この話を聞いた劉邦は、自分が将来大事業を成功させ、天の助けがあると確信した。やがて、劉邦に身を寄せる人が多くなり、劉邦の勢力は日増しに強大し、そして項羽を破って漢王朝を建てた。これを記念するために、漢の文帝は芒場山に高祖廟を建て、廟の前に斬蛇碑を建てた。現存のものは、明代に再建されたそうです。

 

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