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徐州市


 

徐州市

    徐州は江蘇省の西北部に位置する。江蘇省、山東省、河南省、安徽省など四つの省と隣接し、「東は黄海と連なり、西は中原と隣接し、南は江淮を臨み、北は山東省を控える」というため、古くから「五省に通ずる地」と称されてきた。
    徐州は周囲には丘陵に囲まれ、古くからの戦略上の要地である。紀元前220年ごろには楚の覇王項羽がここに本拠を構え、漢の高祖劉邦と覇を競った。近代では抗日戦争の徐州大合戦、1948年末からは共産党と国民あ党の決戦淮海戦役の主戦場
ともなった。
    徐州は昔彭城と言われ、 6000 年の歴史を持っている。 堯 の時代、大彭氏国を建国した。2500年余りの建城史があり、江蘇省境内早く建てられた町である。夏の大禹は洪水を退治する時、全国を九つの州に分かれ、徐州はその九州の一つである。当時、「徐州」は自然経済区の名前で、彭城はその地域の中心であった徐州は中国の初めての庶民皇帝――漢高祖劉邦の故郷である。劉邦は皇帝になった後、彼の弟劉交を「楚王」に封じて、徐州を首都とした。数百年の間、徐州を中心としての西漢楚国は劉氏子孫の世襲封地になって、租税をかけず、経済は繁盛し、社会は安定し、豊かな漢代文化遺産を残した。構造が異なった漢墓や生き生きとした漢画像石と実によく似ている漢兵馬俑は「漢代三絶 と言われる。
    現在は京滬線と隴海線、この国内で東西南北二本の重要な鉄道幹線が交差し、南北に貫く京杭大運河が流れる。     

漢の兵馬俑

    漢の兵馬俑は市の東の獅子山に位置する。1984年12月に地元の農民は煉瓦を作る時、偶然に発見された。この発見は西安秦兵馬俑に次ぐ重大な発見の一つである。楚王の陪葬品としての4000件余の漢俑は写意的な方法で、漢代の兵士達の思
想、表情、感情を生き生きと表現し高い芸術的価値を持っている。
    漢の兵馬俑は全部で六つの坑があり、三つの歩兵坑と騎兵坑から出土した2500体の兵俑は、全部東を後ろにして整然と配置されている。この兵馬俑方陣を見ると、二千年前の徐州にある楚王国軍隊構成の様子が目に浮かぶ。歩兵坑内には官吏俑
もあれば、兵士俑もあるし、長槍俑もあれば、射撃俑もあるし、騎兵坑内にもよろい兵俑や牽馬俑などがある。我が国古代軍事史の研究にも重要な意義を持っている。また、兵俑の表情はいずれも異なり、リアルな迫力があり、特に悲しく厳かな葬送俑の表現に精巧な職人の技に驚かれる。

楚王陵

     楚王陵は徐州の東郊外の獅子山に位置する、西漢初期徐州の第三代の楚王の劉戊のお墓である。300メートル離れた西側にある漢兵馬俑は楚王陵を保衛する軍隊を象徴したものである。楚王陵は山を切り開き、構造が珍しく、規模が大きく、堂々
たる迫力が満ちている。出た石は全部5100立方メートルにもおよぶ。お墓から発掘された文物は2000点にのばり、金、銀、銅、鉄、玉、石、漆など、稀なものが少なくない、もっと珍しいものは陵墓の中に残った遺骨である、この遺骨によって2100年前の楚王の風采が再現できた。これらの文物は西漢初年の世相をかなり反映するだけでなく、古代の工芸美術、葬礼制度、服飾品、彫塑などを研究するのに有力な実物証拠を提供している。このお墓の発掘は1995年中国十大考古発見の第一位に称され、その漢代の雄荘で博大な特色には絶えず賛嘆されている。
    楚王陵は発見されてから、たちまち有名な観光スポットとして国内外の考古ファンや観光客の目を奪って賑わいを見せるようになった。

亀山漢墓

    亀山漢墓は徐州の西北郊外の九里山の麓に築かれ、西漢六代目楚襄王の劉注夫婦の合葬墓。1981年2月に発見されたが、1998年の文物全面調査中、当墓出土の亀摘み銀印鑑が集められ、はじめて謎のような墓主人の身分が解かれたという。
    亀山漢墓は山を削り、東西に83メートル伸びており、南北に幅が一番広いところは33メートルに達して、総面積は700平方メートル以上に達した。この墓は全部で15の墓室で、寝室、応接室、馬小屋、台所などがすべてそろって整然とした。まるで雄大な地下宮殿のようである。
    南北に平行している二つの墓道はいずれも長さが5メートルで、幅1.06m、高さ1.78m、掘削軸との最大誤差は5mmしかない、精度は1/16000に達し、水平誤差はただ8mm、傾度は20しかないことにより、現代人も驚く掘削技術を見せていた。墓の入口
は26 個の6 ― 7 トンの石で封じられている。
    亀山漢墓は規模が大きく、削り面の仕上げも精細で、勢いが雄大で、実に世界でもまれで、中国の誇りでもある。

徐州博物館

     徐州博物館は徐州市の南郊にある景色が美しい雲龍山の北麓で、建築面積は12000平方メートルに達する。本来は清代の高宗乾隆皇帝が南方を視察した時の行宮であった。その中は優雅で、施設も整っており、すばらしい文物が千点以上もある、そ
の規模、等級は江蘇省においても雄大と言える。徐州博物館は大量の精巧で美しい漢代の文物が保存され、その中には銀縷玉衣、金獸形硯、銅牛燈などの珍しい物がある。

漢画像石芸術館

     徐州漢画像石芸術館は雲龍山の西麓に位置する、1980年以降、徐州を中心とした楚侯陵墓の出土を皮切りに、前漢・後漢の畫像石が発見された。
    全部で出土した漢画像は1000画余りもある。徐州の漢画像石は蘇州園林と南京六朝石刻と並んで、「江蘇三宝」と言われる。徐州漢画像石芸術館は漢画像石を收藏、陳列、研究する専門の博物館である。この芸術館は、漢唐式ような建物からなって、珍しい漢画像石を500画余收藏している。その作品からは神仙界の喜んである歌と踊りや富豪家の贅沢や、百姓の喜愁哀楽や労働の苦しさが見られ、いずれも大量の銘文を有しているから、考古・藝術・書法の極めて貴重な史料として多くの反響を呼びました。徐州漢画像石芸術館を見学することは、まるで美しい歴史の画廊に身を置いているかのように、人々に知的な啓発や芸術的な享受をあたえるであろう。
    「牛耕図」漢時代庶民の農耕場面が忠実に再現 「力士図」

九里山古戦場

    九里山は徐州の北郊外にあり、最高峰は134m、東西九里であるから、名がついた。
    歴史上には徐州に400余回大きな戦いが起こった。平均して10年に一回である。2000年前、韓信と項羽がここで決戦し、「十面埋伏」という諺の源はここである。そして、三国の戦い、宋と金の戦い、明の永楽と建文帝の闘い、抗日戦争の徐州大合
戦、共産党と国民党淮海戦役などいずれもここが主戦場の一つであった。

大風歌碑

    大風歌碑は沛県にあり、劉邦は漢の皇帝になった後、里帰りして大風の歌を作った。これを記念するために造られた石碑である。

  大風歌           大風の歌    
  大風 起 兮 雲飛揚    大風 起こりて雲 飛揚
  威加海内兮 帰故郷    威海内に加わりて故郷に帰る
  安得猛士兮 守四方    安にか猛士を得て四方を守らしめん

 

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